祖母が亡くなって考えた「愛」の話

2025.09.08
家族

父方の祖母が亡くなった。
94歳。
日帰りのできない距離で死に目に会えず、葬儀にも出られず。
容態が悪化して、良くなってを繰り返したから連絡が間に合わなかったって。
葬儀の連絡が来たのは亡くなってから3日経ってからだった。
そう、仕方ない。
ずっと寄り添ってくれた人がいてくれたこと。
最期は施設で、適切な対応の中で息を引き取ったこと。
2年前に父が単身赴任先で独りひっそりと息を引き取ったように、寂しい思いをさせないで済んで本当に良かったんだ。
義理の母の介護なんて、大変だったろう。
肉親でもないのに、本当に良くしてくださったんだ。
飲めない所ももちろんある。
でも、「良かった」って思わないと、涙が出る。
私のためではなく、祖母のためにベストだった。
だから、黙って飲み込む。
だって私は、祖母にはもう20年以上あえてなかったから。
寄り添う毎日を一つひとつ積み重ねた伯母様の強さを想う。
父も母も亡くなって、私のことを叱ってくれる親戚はもういない。
四十九日まで、帰れない。


凛と伸びた背筋に、綺麗な文字。
美しい言葉に、優しいまなざし。
全てが、私のお手本であり、礎だった。
言葉を使う仕事に憧れたのも、国語の教師をしていた祖母の影響だったといえるかもしれない。
毎月祖母から届く荷物には、沢山の本が詰まっていた。

祖母は、「1番」が口癖の人だった。
母は「子どもに順番をつけるなんて」って怒っていたけど。
髪の毛の長さ、声の大きさ、返事の良さ。
些細なことでも、明確な基準の中で1番を取れる私でいられるのが、嬉しかったし誇らしかった。
「おばあちゃんはね、あいかが1番、大好きだからね」
妹にも、同じことを言う。
「みんなに良い顔をするのよね」
って母は嫌ったけど。
母からはもらえなかった言葉が、私を支えてくれていたのを、母はきっと知らない。

愛し方は、一人ひとり違う。
だから、素敵なんだ。
けれども、無償の愛を教えてくれるのは、両親だと相場が決まっている。
残念ながら、私は伝わり辛い愛を一緒に住んでいる時には感じることができず、イレギュラーだったらしい。
その場合、どうすれば良いのかなんて学校の授業では教えてもらうことができなくて。
見せかけの愛に騙されそうになったこともあった。
判断を間違えそうになった時、過るのは祖母の顔だった。
祖母の言葉だった。
私が危うい独り歩きで何とかここまで来られたのも、祖母が教えてくれた矜持があったから。

だから私は、子どもたちに伝え続ける。
「何があっても、最後まであなたの味方だからね」って。
皆さんは、どんな言葉で家族に愛を伝えてますか。

日々の暮らしの中で感じたことや、心に残った出来事を言葉にしています。 特別な経験ではなくても、誰かと共有することで意味を持つ――そんな想いからエッセイを書き始めました。 読む人がほっと息をつけるような、やさしい文章をお届けできれば嬉しいです。

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