あの朝の寝言
「え〜?なに?どうしたの!?
なんか、パパ、いつもと違うんだけど!」
私は父の様子に驚き、心の中でそう叫んだ。
ある年の夏休み、古い旅館で迎えた朝のことだった。
––––私は、会社勤めの父と専業主婦の母の元、2人姉妹の長女として育った。
男は外で仕事、女は家で家事と育児。
我が家は絵に描いたような、昭和のサラリーマン家庭だった。
父の帰りは毎晩遅く、休日はゴルフ三昧。
サザエさんを見ながら、波平さんとマスオさんが、平日に家でごはんを食べていること自体が不思議だった。平日、起きている間に父が家にいた記憶がない。
たまに父が家にいる休日。
「お〜い!ドライブに行くぞ〜!」と言われ、「わ〜い」と喜んで車に乗ったら、行き先はゴルフの練習場……なんてこともしょっちゅうだった。
ある事件が起きたのは、私が小学4年の時だ。
その日は、ピアノの発表会があった。
緊張から頭が真っ白になってしまった私は、何度も何度も同じところを間違えた。
焦る気持ちに振り回され、演奏はめちゃくちだった。
「最悪……もう、やだ」
家族の元に戻り、そうつぶやいたらぽろっと涙がこぼれた。
「大丈夫よ。頑張ったじゃないの〜」
母はそう慰めてくれた。
でも、その時、私は黙ってす〜っと目をそらす父の姿を見てしまった。その横顔に失望を見て、私は胸がぎゅ〜っと痛くなった。
期待に添えなかったんだ、と思ったら自分でも思いがけない怒りが湧いた。
……パパなんて、いつも家にいないくせに!
なんだよ…大っ嫌い!!
その日、私は父との間に心のシャッターを下ろした。
数ヶ月後の夏休み。
父の友人と娘のよしみちゃん、私たち家族で長野県の高原に行くことになった。
よしみちゃんには、何度か会ったことがある。
私の妹と同じ6歳で、いつも恥ずかしそうに笑うおとなしい子。
家族だけの旅行ではないことが新鮮で、私と妹は旅行を心待ちにした。
––––旅館で会ったよしみちゃんは、最初、元気がないように見えた。
実は旅行の直前に母からこう告げられていた。
「よしみちゃんね、心の病気で声が出ないの。優しくしてあげてね」
……心の病気!?
よくわからないけど、とにかく優しく接しようと心に決めていた。
父達がゴルフの間、私は妹とよしみちゃんと思い切り遊んだ。
……よし!よしみちゃんをいっぱい笑わせるぞ!
頭の中はそればかりだった。
公園でブランコに乗ったり、小川で冷たい水に手を浸して、誰が一番長く我慢できるか競い合ったり……
よしみちゃんの表情はどんどん明るくなり、身振り手振りで気持ちを伝えてくれる。
「よしみちゃん、すごいね〜!」
笑顔の彼女を見るのが嬉しくて、私は彼女にばかり話しかけ世話をやいた。「よしみちゃんばっかりずるい!」と妹がヤキモチを焼くほどに。
––––旅行3日目の朝のこと。
私は窓から差し込む朝日で目がさめ、寝転んだまま夢の余韻に浸っていた。
ふと、視線を感じて、左隣に目を向けると、いきなり父と目が合ってしまった。
気まずい……
すると、父はまっすぐ私を見たまま、小さな声でこう言った。
「お前は本当に優しいんだなあ。寝言で何度も何度も呼んでたぞ。
よしみちゃん、よしみちゃんって……夢の中でも気にしてたんだな」
……え?なんかいつものパパじゃない。
普段はそっけない父のあたたかな口調と思いがけない言葉に、びっくりした。
発表会の日から、私は父からの愛を望みながらあきらめていたのだ。
でも、この朝、父は、私が思っていた父ではなかった。
父の言葉は「えらい」や「すごい」などの評価ではなく、「ゴルフの間ありがとう」という感謝でもなかった。
「優しい気持ちで誰かに接している」目の前の私を見てくれた。
……いつも夜遅くまで帰らないパパ。
休みの日も、すぐゴルフに行っちゃうパパ。私のことなんて、どうでもいいんだと思ってた。
でも、でも…
パパは私のこと、ちゃんと見てくれてたんだ!
父の言葉をかみしめたら、胸の奥のモヤモヤが、スーッと消えた。
父の顔が、ちょっとにじんで見えた。
それに気付かれたくなくて、私はちょっとぶっきらぼうに答えた。
「よしみちゃんと遊ぶの、楽しいから……」
––––あれから40年以上が過ぎ、父はもういない。
飾ってある父の写真を見ながら思う。
……う〜ん。あの朝は、もっと優しい顔してたなあ。
書く、読む、話す、聞く、育てる、映画やドラマを見る、食べる、作る、旅することが好き。モットーは「心地よく生きる、行動して書く」です。どんどん書きますのでよろしくお願いします。
