夜が変わった日

人間関係

何で私ばっかり…

もう疲れた。早く家に帰りたい。

 

言いたい言葉が、どんどん心の中に積もっていく。

でも口にはできない。

言ったら多分、家族ではいられなくなる。

言えないのではなく、言わないことで家族でいようとしていた。

思いを飲み込みながら、日々のやるべきことをこなすのに精いっぱいだった。

 

今日もやっと終わった…

その夜も、糸が切れたようにベッドに倒れこみ、やり場のない思いを天井にぶつけた。

 

 

 

時は、コロナ禍まで遡る。

私は親の介護のため、関東から九州の実家へ帰省した。

 

「お母さん、鬱になってね。入院することになったから。

家とお父さんが心配だから帰ってきてくれない。」

 

母からそう電話があったからだ。

私はそのまま荷造りをして、実家に戻った。

 

久しぶりに会った父は、以前よりもずっと痩せていた。

 

「あぁ、帰ったか」

 

優しくそう言うけれど、笑顔が弱々しい。

冷蔵庫を開けると、食べかけの缶詰と、しなびた野菜、母が入院前に作った残り物だけが並んでいた。

 

――私がやらなきゃ。

 

弱っている父を見て、そんな気持ちが湧き上がってきた。

 

父の家事と母の入院を支えればいい。

そういう単純な話だと思っていた。

 

…けれど、話はそうもいかなくなった。

 

数日後、父も倒れたのだ。

 

母と同じ病院に入院することになった父。

 

二人が退院してからは、

父の手伝いをするだけだった生活が、ワンオペの両親介護に変わった。

 

「胃が重くなるから、朝は7~8時、昼は12~1時、夜は7時くらいまでに作ってくれ」

「食べにくいから、もっと細かく刻んでくれる?」

「朝ごはんに、〇〇買ってきておいて」

 

そういう両親のリクエストに、私は完璧に応えるようにした。

昔の私なら、「え~?」と声に出して反発していただろう。

でも私も歳を重ねて、世間体というものを気にするようになった。

 

それからは、「娘なんだから、これくらいやらなきゃ」と自分に言い聞かせ、

役割を受け入れようとした。

言えないのではなく、言わないことで、娘でいようとしていた。

 

そう思って、毎日淡々と家事をこなしていた…けれど、

心の中ではイライラが少しずつ溜まっていった。

 

 

本も読みたかったのに

 

仕事も、在宅でやろうと準備してきていたのに

 

こんな生活、もういやだ

 

早く帰りたい

 

何で私がやらなきゃいけないの

 

お兄ちゃんだっていいやん

 

いつまでも、私が何でもするわけにはいかんとよ

 

 

 

……でも、

 

本音を言ったら、きっと悲しむ。

 

悲しむ顔は見たくない。

 

悲しませる娘になるのは嫌だ。

 

 

 

私の中に、言わずにいた言葉が積み重なっていった。

そして、

私は毎日夜、くたくたになってベッドに倒れこむのが、日常になっていった。

 

 

 

そんなある日。

今日もやっと訪れた、寝る前の時間。

私はスマホに「親 介護 つらい」というワードを入れて検索していた。

たまたま見つけたネット記事で、こんな言葉を見つけた。

 

「バーンアウト」

 

調べてみると、燃え尽き症候群のことだとわかった。

介護などで頑張りすぎて、心まで枯れ果ててしまう状態。

 

これって、私のことだ!

 

ようやく、自分の居場所を見つけたような気がした。

私の発見を誰かに聞いてほしかった。受け止めてほしかった。

 

そして、

いつものように夜電話をしていた夫に、その日は興奮して「バーンアウト」のことを話した。

 

「バーンアウトって知ってる?

介護とかしている人にみられる状態らしくって。それで、私もそうかもって…」

「記事に書いてあることが、まるで私で。
義務感だけで動いて、誰にも弱音を吐けない。私、そんな状態だったんだって…」

知りたての情報を一つ一つ口にするたびに、ずっと我慢していた思いが、堰を切ったようにあふれ出して止まらなくなった。

 

私はただ、言いたかったんだ!

 

介護を始めてから初めて、胸のつかえが取れていくのを感じた。

それからは夜になると、夫と電話で介護の時に感じたことを話すようになった。

嫌だったこと、悲しかったこと、怒ったこと。

別に、状況は何も変わらなかったけれど、それでよかった。

その夜から、もういい娘でいなくてよかった。

 

 

 

2ヵ月の両親の介護を終え、私は今、関東に戻ってきている。

未だに、「何で私ばっかり…」という思いは消えていない。

また介護が必要になったときに、耐えられるだろうかとも思う。

 

けれど、あの夜のように一人天井を見つめて、その気持ちを溜めこまなくていいんだ、

と思えるようになった。

「今日はこんなことがあって、何か腹が立ったよ…」と夫に吐き出せるようになったから。

 

何でも言える相手がいる

 

そんな夜があるだけで、明日も大丈夫だと思える。

事務職として働きながら、エッセイを学ぶ。 日常を振り返った時に気づく、 小さな違和感や感情の揺れをすくい取り、 言葉にすることを大切にしている。

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