「飴玉くらいいいんだよ。」
うーん。本当に?
五秒ほど考えたあと、いちご味の飴の包み紙を開ける。
「また看護師さんに怒られるんじゃないの?」
返事はない。
無視か?
今までもこっそり食べてたんだろうなぁ。
でも、骨と皮みたいにすっかり細くなってしまった腕を見ていたら
一粒くらいいいやという気持ちになる。
「ひとつだけだよ?」
「おぉ、ありがとう。」
飴を受け取ろうと伸ばした右腕には、点滴のチューブがささっている。
痛々しくて視線をそらす。
「うまいな。」
病床で父はおいしそうに飴玉を頬張った。
細くなったのは腕だけじゃない。
柔道で鍛えて大きかった体も薄っぺらくなってしまった。
さみしいなぁ。
心の中でつぶやく。
大動脈瘤の手術をするまでは、大食漢だった父。
「ちいちゃん、甘いのあるぞ。」
晩酌もしてお米もしっかり食べた後なのに、父は必ず甘いものを食べていた。
「いいよ。おなかいっぱい。」
「なんだよ、せっかく買ってきたのに。」
不服そうに豆大福を口に入れる。
年頃の女子なんだから仕方ないじゃん。
体型を気にしてご飯を少なめによそった時も、
「そんなんでいいのか?」
と目を丸くした。
「それじゃ倒れちゃうぞ。」
倒れないから大丈夫!
うるさいなぁと思いながら言い返したっけ。
しかし大動脈瘤の手術後、父は腸閉塞を繰り返すようになった。
消化の良いものを、と始まったお粥生活では
「こんなの食った気がしない。」
とよく文句を言っていた。
だから、めずらしくお米を食べていると、つい声をかけてしまう。
「食べていいの?」
と聞くと、
「どうってことないよ。」
と答える父。
え、本当に?と思った瞬間、
「ほんとはダメなのよ、詰まっちゃうから。」
と母が耳打ちする。
やっぱりダメなんだ。
「うまいうまい」
と、たくさん食べた翌日はだいたい腸が詰まった。
ひどい時は救急車のお世話になる。
そのたびに入退院の繰り返し。
最期の日だってそのお決まりのパターンだと思っていたのに…
父はあっけなく逝ってしまった。
「ちょっと前まで三人で話してたんだよ。
だけど、病室出たら急に具合が悪くなって、あっという間だったみたい…」
兄の説明では、お見舞いの直後に体調が急変したらしい。
ベッドで横になる父は、眠ってるように見えた。
なんだか現実味がわかなくて、
飴玉渡したのが最後になっちゃったな。
そんなことをぼんやり思っていた。
病院から実家に父を迎え入れてからお通夜までの数日間は、バタバタと忙しかった。
知り合いへの連絡、葬儀のための打合せ、枕団子に枕飯。
悲しみにくれている暇などない。
むしろ、悲しい気持ちを紛らわすかのように、みんなチャキチャキと働いていた。
「枕団子ってうまく積めないですね。」
兄嫁がピラミッド状に積んでいく。
なんだかバランスが悪い。
「この段にもう一つ置いてみたら?」
姉がアドバイスしたが、もっと見栄えが悪くなった。
「ちょっと違うかも!」
母も一緒にクスクス笑っている。
枕団子作りはなんだかお月見団子作りみたいで、
少しだけみんなの気持ちもほぐれた。
そうだ、枕飯用のお米。
「ちょっと見てくるね。」
そういって私は一人台所へ向かった。
「炊けたかな?」
食器棚からお茶碗としゃもじを取り出し
そのまま炊飯器を前にした、その時。
……あれ…?
一瞬、固まった。
炊飯器の蓋が、開いている。
なんで…?
中を覗き込む。
そこには、水が張ったままのお米。
炊けてない。
…えーと、
なんで?
私、閉め忘れた?
……いや、そんなわけない。
だって、蓋をして炊飯ボタンを押したもん。
…じゃあ誰?
わけがわからない。
急いで、姉、兄嫁、母のもとに駆け戻る。
「炊飯器の蓋、開けた人いないよね…?」
みんなの頭に『?』が見える。
「えーと…蓋が開いてるんだけど…」
え?
と一瞬間があいた。
そしてようやく状況を理解して全員で炊飯器へ向かう。
蓋が開いたままの炊飯器。
中には水を張ったままのお米が見える。
いったい誰が…?
みんなの頭に同じ疑問がよぎる。
でも、誰も言葉を発しない。
だって全員ダイニングにいたんだから。
となれば…
「…もしかしてお父さん?」
一瞬ピリッと緊張が走る。
「…だよね?」
そんなわけない。
そんなわけないんだけど…
でもそうとしか考えられない。
生前お米を食べたがっていた父。
「炊けるの待ちきれなくて、蓋開けちゃったのかな?」
母が言った。
『やっとだよ』
そう言って、まだ炊けてもないご飯を食べようとする父が容易に想像できた。
「きっとそうだよ。」
「絶対そうだよ!」
気づけば私たちは口々にそう言っていた。
けっきょく炊き直したお米は、一時間後に出来上がった。
ほくほくの白米。
私たちはそれを茶碗に山盛りに盛って、父の枕元に供えた。
「いっぱい食べてね。」
せっかちで、食いしん坊で、炊ける前から食べようとしていたお父さん。
これからは好きなだけ食べていいからね。
…でも。
そんなすぐには炊けないから…!
もう少し待ってて、お父さん!