もし願いが一つ叶うなら、もう一度だけ父に会いたい…。
私は今も、あの日の父の問いに答えられずにいる…。
玄関に飾られた父の写真を見るたび、あの日の声がよみがえる…。
思春期の私は、必要なことしか話さない父のことが大嫌いだった。
「なんで学校、行かんのや?」
学校をさぼりがちだった私に、父が静かに聞いた。
「マジうざい!行きたくないから決まっとるやん!」
父は黙った。
私はさらに言葉を重ねた。
「もう学校やめる!一人で生きてくで、私に構わんで!」
言い終わった瞬間、父の顔が変わった。
次の瞬間、目の前が真っ白になった。
気づけば、私は床に倒れていた。
__ あれ…? 私、今… パパに殴られた…?
頬の痛みよりも、父に殴られたという事実の方が痛かった。
その日から父と全く口を利かなくなった。
父と口を利かなくなって五年が経った頃。
やめたかった学校も無事卒業し、卒業旅行で沖縄に行った。
そこで琉球グラスをみんなで作った。
青色と白が混ざった、少し厚みのあるグラスだった。
__ このグラス、パパがお酒飲むときにええやん…。
そう思った瞬間、自分でも驚いた。
あんなに大嫌いだった父のはずなのに。
いつの間にか、その気持ちは薄れていた。
旅行から帰って、手作りの琉球グラスを、母から渡してもらった。
「パパに渡してくれた?」
「渡したよ。さっそくパパ、それで水のんどったで」
その言葉を聞いて、私は自然と笑顔がこぼれた。
それが私たちの仲直りだった。
それから父との距離は、少しずつ縮まっていった。
旅行に行ったり。
買い物に行ったり。
ご飯を食べに行ったり。
気づけば私は、心の底から父のことが大好きになっていた。
__ これからいっぱい、親孝行していこう…。
そう思っていた矢先、父のがんが見つかった。
ステージ四。
長くて三年だと告げられた。
__ まだ親孝行もできていないのに……
__ 初孫も見せてあげられていない……
そんな思いを抱えていた頃、私は結婚し、娘のアリサが生まれた。
父は、アリサを見るときだけ、目元をふわっとゆるませた。
ある日、ソファーの上で、まだ寝がえりもできないアリサが眠っていた。
すると父が、ソファーの上の壁に飾ってあった絵を外し始めた。
「パパ、その絵どうするん?」
私が聞くと、父は手を止めずに言った。
「もしこの絵が落ちて、アリサに当たったら大けがするやろ。違う場所に移すんや」
アリサのために絵を外す父の横顔は、今まで見たことのないぐらい柔らかかった。
そんなある日、父は椅子に座り、アリサを抱いていた。
「たかいたかーい」
アリサがキャッキャと笑う。
喜ぶアリサを大事そうに抱えながら、父が私に聞いてきた。
「俺が死んでも、アリサ俺のこと、覚えとるやろかな?」
父は、どこか遠くを見ているようで、しっかりアリサを見つめていた。
その言葉を聞いた私は、一瞬にしてまぶたの裏が熱くなった。
声が出なかった…
__ 覚えとるに決まっとるやん……
そう言いたかった。
でも一言でも声を出したら、涙がこぼれてしまいそうだった。
私は何も答えられずにいた。
すると父は、アリサをあやしながら、静かに部屋を出て行った。
__ パパが死ぬなんて嫌だ… これからアリサに、いっぱいおもちゃ買ってあげてよ……
一人になった部屋で、私は堪えるように泣いた。
その半年後、還暦の節目だった父は天国へ旅立った。
あれから十年。
父の問いは、ずっと私の中に残り続けていた。
ふとした時に思い出しては、胸の奥がきゅっと苦しくなった。
どうしても、父に答えを返したかった。
けれど、その答えを聞くのが怖かった。
もし「覚えてない」と言われたら…?
父があの日こぼした、願いのような言葉を、叶わないまま終わらせてしまう気がした。
だけど私は、十一歳になった娘に勇気を出して尋ねた。
「ねー、アリサ。じっちゃんのこと、覚えとる?」
アリサは少し考えてから、こう言った。
「写真を見てるから知ってる…」
__やっぱり…。覚えとらんよね……。
胸の奥が、しめつけられた。
けれど、アリサは続けた。
「じっちゃんって、すごいアリサのこと愛してたんだね。写真見てて思った」
__うそ…。ちゃんと届いてる ……
その一言だけで、もう十分だった。
固まっていた心が、少しずつほどけていった。
覚えているかどうかだけが、答えじゃなかった。
父の声も、抱っこのぬくもりも、アリサの記憶には残っていない。
それでも父の愛は、写真の中のまなざしから、ちゃんとアリサに届いていた。
十年間、心の奥に刺さっていたトゲが、すうっと抜けていくのを感じた…。
パパ…
アリサは覚えてなかったけど、パパに愛されたことは、ちゃんと心で感じてたよ。
あなたの孫は、愛をちゃんと受け取れる子に育ってる。
命をつないでくれて、心からありがとう……。
この言葉が、天国にいるパパへ届きますように……。