「妊娠は…してないね。」
産婦人科の女医さんの高い声が耳に刺さる。
──え?
──なんで?
そう思いながら『やっぱり』という思いがよぎる。
自宅の検査キットで陽性反応が出た時、私はウキウキしていた。
──やった!
でも青いラインがうっすらだったのが気になっていた。
箱に書いてある見本の「陽性」写真は、もっと青がくっきりしていたのだ。
まあ、薄いけどこんなもんでしょ。
生理も来てないし大丈夫。
気づかないふりをして過ごした一週間後。
出血があってパニックになった。
こんなはずじゃない。
なにかが間違ってるんだ。
そうだ、何かちょっとした間違いのはず。
念のため、少し早いけど産婦人科で診てもらおう。
そして『大丈夫』って言ってもらおう。
そう考えなおして、まだ2歳だった娘の手をひいて婦人科へ駆け込んだあの日。
女医さんの一言で、胸に重い遮光カーテンがおろされた。
高齢出産にあたる年齢だとは自覚していた。
その年齢での妊娠はむずかしいとも聞いていた。
でも、まさか自分がその立場になるだなんて。
一人目はあっさり妊娠したものだから。
余計にその事実を受け入れることができなかった。
ママ友たちは次々に二人目を妊娠していく。
「…お母さんさ、体調悪いから今日のリトミックお休みでもいい?」
「うん、わかった。」
何も知らない娘は積み木で遊んでいる。
体調が悪いんじゃない。
幸せそうな妊婦姿のママ友さんたちと、一緒の空間にいるのが耐えられなかったのだ。
娘と二人で家にこもっていると、どんどん気持ちが落ち込んでいった。
──そうだ、気分転換にどこかに出かけよう!
そう思って図書館へ向かった。
関東近郊の遊び場ガイドを開く。
日帰りドライブができそうなところ…
秩父はどうだろう?
川もあるし山も温泉もある。
そして少し山奥には三峯神社。
調べてみるとパワースポットらしい。
「いいね、この日なら休めるよ。」
夫が言った。
そうだ、家族三人で平日にドライブに行こう。
四人ではないけれど。
夫と娘は今、ここにいる。
梅雨の時期だったが、運よく当日は快晴のお出かけ日和。
「目的地へ到着しました」
カーナビの声とともに、三峯神社の駐車場に車を止める。
平日だから車もまばらだ。
車を降りて娘の手をひき、階段を登っていく。
──サササーッ
あれ?
今何か横切った?
なんか黒っぽくて長いものがニョロニョロ動いていたような…
もしかして…
もう一度視線を移した。
──へび!
そう思った瞬間、胸がドキリとした。
ぞぞぞと背中に冷たいものが走る。
気づいたらギャーと叫んでいた。
娘の手を引き、階段を駆け上る。
「へびがいた、見た?へびだった!」
興奮して何度も口に出す。
「こわかった。」
娘が泣きそうな顔をしている。
でも実はちょっとうれしかった。
蛇は神様の使いと聞いたことがあるから。
──もしかして歓迎されてる?
鳥居をくぐると、一気に空気が変わった。
新緑から夏の緑へと変わる季節だからだろうか。
まるで、もののけ姫にでもでてきそうな青々とした樹々。
午前中の日の光がキラキラしてまぶしい。
森の精霊かな?
あんなに澄んでいて、キラキラした森をみたのは初めてだった。
「ここは狛犬様のかわりに、オオカミ様が祀られているそうだよ。」
ガイドブックで知った知識を二人に伝えながら、本堂へと続く階段を上がる。
お賽銭を入れ、顔をあげて、静かに手を合わせる。
一瞬だけ宿ったかもしれない命。
「私のところに来てくれてありがとう。」
鼻の奥がつーんとした。
そして
「娘に兄弟を授けてください。」
と静かに祈った。
お参りをしたらなんだかすっきりした。
──いいところ。
緑に囲まれた境内で大きく深呼吸する。
胸におろされたカーテンの隙間から、光が差したようだった。
それから一年後、私は妊娠した。
「〇〇ちゃん、今度お姉ちゃんになるんだよ。」
娘は
え?
と一瞬かたまったあと、わーいと嬉しそうに笑った。
出産予定日は年明け。
巳年の男の子だ。
──あの時、三峯神社でお迎えしてくれた蛇さんがこの子を運んでくれたんだ。
誰が信じなくてもいい。
私が信じている。
あの時のあの空気。
三峯神社で起きた、不思議な話。