あの30分は、どこへ行った

2026.07.17
生活

 
 
 
「ねぇ、肌綺麗にしたいとか思わないの?」
 
 
 
 
 
…え?
 
 
…なにを言っているの?
 
 
 
 
 
一瞬理解ができず、言葉に詰まった。
 
 
 
 
言いたいことはたくさんあるのに、うまく言葉にならない。
 
 
 
 
私はただ、窓の外を見つめることしかできなかった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
私の肌の悩みは、小学4年生の頃から始まった。
 
 
 
 
ある日、おでこに小さなニキビができたのだ。
 
 
 
 
見たことのない、赤いできもの。
 
 
 
 
鏡の前で前髪を下ろしてみる。
 
 
 
 
「あ、かくれた。」
 
 
 
 
ほっとした。
 
 
 
 
中学生になると、顎にも増えた。
 
 
 
 
朝、顔を洗う。 
 
 
 
 
鏡を見る。
 
 
 
 
また、増えてる……。
 
 
 
 
「なんで……」
 
 
 
 
誰に聞くわけでもなく、ひとり鏡につぶやいた。
 
 
 
 
それから毎日、朝も夜も洗面台の前に立った。
 
 
 
 
洗顔をする。
 
 
 
化粧水をつける。
 
 
 
もう一度つける。
 
 
 
乳液を塗る。
 
 
 
クリームを塗る。
 
 
 
時計を見る。
 
 
 
気づけば30分経っている。
 
 
 
 
 
「明日は少し、良くなっているといいな…」
 
 
 
 
 
そう思ってベッドに入る。
 
 
 
 
眠い日も。
 
 
 
疲れた日も。
 
 
 
風邪を引いた日も。
 
 
 
帰りが遅くなった日も。
 
 
 
 
毎日、洗面台の前に立ち続けた。
 
 
 
 
 
それでも、よくなってほしいという願いは、
 
 
 
 
 
叶うことはなかった。
 
 
 
 
 
 
高校生になっても、状況は変わらない。
 
 
 
 
 
棚には使いかけの化粧品が並んでいく。
 
 
 
 
「今度こそ。」
 
 
 
 
新しいボトルを手に取るたびにそう思っていた。
 
 
 
 
誕生日にプロアクティブをもらったこともある。
 
 
 
包装を開けると、
 
 
「やった。」
 
 
思わず声が出る。
 
 
けれど同時に、
 
 
なぜか少しだけ胸が締め付けられた。
 
 
 
 
周りの友達は、ニキビひとつない卵肌だった。
 
 
 
 
「羨ましい…。」
 
 
 
「なんで、私だけ……。」
 
 
 
 
そんな思いが頭を巡る。
 
 
 
 
 
バイト代で肌質改善エステにも通った。
 
 
 
 
大好きなアイスもケーキも、できるだけ我慢した。
  
 
 
 
思いつくことは、ひと通りやったつもりだ。
 
 
 
 
 
それでも…
 
 
 
 
 
ニキビが消えることはなかった。
 
 
 
 
 
クラスで撮ったグループ写真を開く。
 
 
 
 
自分の顔を拡大する。
 
 
 
 
戻す。
 
 
 
 
もう一度拡大する。
 
 
 
 
 
「はぁ……」
 
 
 
 
笑っているはずなのに、
 
 
 
そこにいる自分が好きになれなかった。
 
 
 
 
 
 
そんな私にも、高校二年生の時に彼氏ができた。
 
 
 
 
彼と過ごす時間はとても楽しくて、
 
 
 
一緒にいる時間だけは悩みを忘れることができた。
 
 
 
 
 
 
 
 
しかし…
 
 
 
 
 
 
 
 
学校からの帰り道。
 
 
 
 
夕暮れに染まった電車の中で、彼は突然口を開いて言った。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「ねぇ、肌綺麗にしたいとか思わないの?」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
一瞬、何を言われたのかわからなかった。
 
 
 
 
 
ガタン、ゴトン。ガタン、ゴトン。
 
 
 
 
 
電車が走る音が、やけに大きく聞こえる。
 
 
 
 
 
私が口を開く前に、彼は続けて言った。
 
 
 
 
 
 
「〇〇とかさ、すごい綺麗にしてるじゃん。肌も髪も。」
 
 
 
 
 
「お前も、そうすればいいじゃん。」
 
 
 
 
 
 
ガチャッ
 
 
 
 
心の扉が、閉まる音が聞こえた。
 
 
 
 
 
「お前は肌が汚い」
 
 
 
 
 
遠回しに、そう、言われた気がした。
 
 
  
 
喉の奥が熱い。
 
 
言い返したくて、口を開く。
 
 
 
「あっ………」
 
 
 
それでも、言葉が詰まって出てこなかった。
 
 
 
毎日30分。
 
 
 
洗面台で過ごした時間が浮かんだ。
 
 
 
棚に並んだ、たくさんの化粧品が浮かんだ。
 
 
 
 
 
 
「頑張ってるよ……。」
 
 
 
 
 
やっと出た、小さな言葉。
 
 
 
 
 
それを上書きするように、彼は言った。
 
 
 
 
 
 
「じゃあもっと頑張ればいいじゃん。」
 
 
 
 
 
 
「………。」
 
 
 
 
 
私はもう、何も言えなかった。
 
 
 
 
私が積み重ねてきた30分は、
 
 
 
いとも簡単に崩れ去ってしまった。
 
 
 
 
 
 
 
それから彼とは、お別れをした。
 
 
 
 
 
 
そして、数年経って出会ったのが、今の旦那だ。
 
 
 
 
 
 
旦那は、私の見た目については何も言わない。
 
 
 
 
 
肌のことも、自分から口にすることはなかった。
 
 
 
 
 
私は毎晩30分、洗面台の前に立つ。
 
 
 
 
ソファでくつろぐ旦那を横目に、スキンケアをする。
 
 
 
それが、いつもの夜だった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ある日。
 
 
 
いつものように洗面台の前に立つ。
 
 
 
化粧水をつける。
 
 
 
乳液を塗る。
 
 
 
クリームを塗る。
 
 
 
時計を見る。
 
 
 
気づけば、また30分経っている。
 
 
 
 
リビングに戻ると、
 
 
 
いつも通り旦那はソファでくつろいでいた。
 
 
 
 
 
私は隣に座り、一緒にテレビを観る。
 
 
 
 
 
すると、私の顔を見て、旦那が言った。
 
  
 
 
 
 
「肌、少し良くなったんじゃない?」
 
 
 
 
 
その言葉に、私は目を丸くした。
 
 
 
 
 
…え、見てたの?
 
 
 
 
 
確かに今日は、いつもよりニキビの赤みが減っている。
 
 
 
 
私は少し照れくさくて、
 
 
 
 
「そうかな。」
 
 
 
 
と目を逸らした。
 
 
 
 
 
すると旦那は、こう言った。
 
 
 
 
 
「頑張ったね。」
 
 
 
 
 
私の目を見て、優しく笑った。
 
 
 
 
 
その瞬間、鍵をかけていた心の扉が、
 
 
 
 
ガチャッ
 
 
 
 
と開く音がした。
 
 
 
 
 
 
「私が、一番ほしかった言葉だ。」
 
 
 
 
 
洗面台の前で過ごした時間が浮かんだ。
 
 
 
 
毎日30分。
 
 
 
 
何年も続けてきた時間。
 
 
 
 
 
「あの時間は、無駄じゃなかったんだ…」
 
 
 
 
 
気づくと、涙がこぼれていた。
 
 
 
 
 
“あの30分は、ちゃんとそこにあった”
 
 
 
 
ニキビが治ったわけではない。
 
 
 
 
それでも。
 
 
 
今やっと、私はあの頃の自分に言えそうだ。
 
 
 
 
「あなたはちゃんと、頑張っていたよ」と。
 
 
 
 

看護師×ライバー×ライター。 奨学金の返済に苦労し、さまざまなジャンルのお仕事に挑戦しました。 恋愛、お金、人間関係。今、悩んでいるあなたに、そっと寄り添えるエッセイをお届けできたらと思います。

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