「……あれ?なんだろう…気のせい?」
エコー検査が始まってから、
どれくらい時間が経ったのだろう。
5分?それとも10分?
検査技師は、私の胸の同じ場所にエコーを何度も当てていた。
ピーッ、ピーッ…
薄暗い検査室。
張りつめた空気の中に、機械音だけが響いていた。
……なんだか、嫌な予感がする。
「はい、お疲れ様でした。次は触診ですので、待合でお待ちくださいね」
検査技師の優しい声に、ほんの少しだけ肩の力が抜けた。
(嫌な予感は気のせい、気のせい…)
そう心の中で言い聞かせながら、
私は待合室へ戻った。
__けれどこのあと、医師の一言で、
私の世界は一変する。
「自覚症状は、本当に何もありませんでしたか?」
触診を終えた医師が、私にそう尋ねた。
「自覚症状ですか? いえ、特に……」
私はこう答えながら、医師からの問い掛けの意味がわかってしまった。
(あ、これ……何かある)
「気になる影が3ヶ所あります。もう少し詳しい検査が必要です」
医師からのこの言葉が、
私をどん底へ突き落とした。
頭の中が真っ白になった。
え……?
うそでしょ……。
10年ぶりに、
ただ「安心するため」に受けただけの乳がん検診だった。
それなのに、3ヶ所も?
「嫌な予感」は現実のものとなってしまった。
不幸中の幸いで、その日のうちに細胞を採取できることになった。
不安で固まる私に、医師は穏やかに告げた。
「結果は1週間後にお電話しますね。お大事にしてください」
__1週間。長すぎる。
そんなに待てるわけがない。
こうして、私の「恐怖の1週間」が始まった。
夫と3歳の娘と3人暮らし。
どこにでもある、平凡な毎日。
朝起きて、家族の朝食を作る。
洗い物をして、洗濯物を干し、娘を保育園に送る。
「またあとでね!」
娘を笑顔で見送って、仕事をして、夕方には迎えに行く。
昨日と同じ今日。
今日と変わらない明日。
__の、はずだった。
検査の日から、私の頭の片隅には、
ずっと「がん」という言葉が居座っていた。
朝起きては、「そういえば私、がんかもしれないんだ…」と思い出す。
ご飯を作りながら、「これからも作り続けられるのかな…」と不安になる。
洗い物をしながら、「もし入院したら、娘はどうしよう……」と考えてしまう。
朝から夜まで、ずっと同じことの繰り返し。
「ママーー!!」
娘の声に、はっと我に返る。
あ、いけない。
また悪いほうへ考えてた。
そう思っても、止められない。
もし、がんだったら。
治療は?
家族には会える?
ちゃんと治る?
……そもそも、私。
来年、生きてるのかな。
考えれば考えるほど、胸が重くなる。
検査結果が分かる日が、刻一刻と近づいて来る。
…私、大丈夫かなぁ。
人生にいつか終わりがあるとは分かってたけど、まだ先の話だと思っていた。
こんなタイミングで決められるかもしれないなんて、思いもしなかったな。
そんなある日、ふとリビングを見渡した。
そこには、
散らかりっぱなしの娘のおもちゃ。
シンクに溜まった洗い物。
__ああ、数日前までの私は、
こんなことでイライラしてたんだ。
「なんで片付けてくれないの」
「なんで私ばっかり」
でも今なら、分かる。
片付かない家事なんて、どうでもいい。
誰も手伝ってくれない? それが何?
家族がみんな元気で、
娘が今日も笑っていて、
自分の体が、ちゃんと動く。
それだけで、十分すぎるほど幸せだった。
失うかもしれないと思った瞬間、
私は初めて気づいた。
過去の自分に言ってあげたい。
「あなたはもう、十分幸せなんだよ」
結果がどうであれ、
もしまた明日を生きられるなら。
私はこの毎日に、
ちゃんと感謝して生きよう。
そう心に決めた。
そして、検査結果の電話が来る日。
時計は18時を過ぎていた。
ドキドキ……
心臓の音が、やけに大きい。
「プルルル……」着信音が鳴った。
「◯◯クリニックです。検査結果ですが、3つとも良性でした。半年後にまたいらしてください」
__あぁ、よかった。
電話を切った瞬間、全身の力が抜けた。
「私まだ生きてて、いいんだ」
あのときの安堵と喜びは、一生忘れない。
あれから3年。
年に一度、検診を受けるたびに思う。
「問題ありませんよ。また1年後ですね」
その言葉を聞くたび、
「また1年、生きられる」と思える。
このドキドキは、
私にとって必要な人生のスパイスだ。
あの1週間がなければ、
私は今日も、散らかった部屋に文句を言っていたかもしれない。
でも今はちがう。
娘の笑い声がうるさくても、
少しだけ愛おしい。
洗い物が山積みでも、
「まぁいっか」と思える。
完璧じゃなくていい。
今日を一緒に笑って過ごせるのなら…
それでもう十分なのだ。
あの1週間は、私を怖がらせた。
でも同時に、私を目覚めさせてくれた。