「うわ…なつかしいな…」
思わず、声が出た。
それは、兄からとあるLINEがきたからだった。
『部屋の掃除してたらこんなの出てきたけど、いる?』
そこに添付されていたのは、小さなCDの写真。
…昔のCDってこんなに小さかったっけ?
そんなことに気を取られながらも…
写真を見ているだけで、懐かしいメロディーが蘇ってくる。
何度も、何度も聞いた曲。
私が世界で一番聴いた曲。
井上陽水の『少年時代』
私の夜を守ってくれた、大切な曲だ。
子供の頃、私は夜が本当に怖かった。
少し体が弱かった私は、夕方になるとよく熱を出していた。
「夜ご飯が出来るまで2階で横になってなさいね」
母はそう言って、いつも熱を出すと私を2階の寝室に連れて行く。
…本当は、みんなとリビングにいたいな…
そう言いたかったけど…
心配をかけたくなくて黙っていた。
母は私を布団に寝かせると、優しく頭を撫でてくれる。
「…静かに寝てなさいね」
心配そうな顔をする母に、
「下に行きたい…」とはやっぱり言えず、私は頷くだけだった…。
そして、寝室から母が出ていくと…
シーンと静かな部屋だけが残る。
窓の外は、だんだん暗くなっていって…
それが幼い私には、夜が近づいてくるように思えて…怖かった。
喘息もちの母の発作がひどくなるのも…いつも夜。
だから、悪いことや嫌なことは、
「全部、夜がいけない!夜が悪い!」
と思っていた。
布団に入って寝ようとしても、
暗闇が迫ってくる気がして…
…怖い
怖くなって目を閉じても、
そこには暗闇しかなくて…
…怖い
「…また夜になる」
それだけで、怖くてしかたなかった。
ただ、そんな夜をこえる方法が、私には1つだけあった。
眠れない夜に、こっそり寝室を抜け出して向かっていたのは、12歳上の兄の部屋だった。
いつも、夜遅くまで灯りがついている兄の部屋。
幼い私には、不思議な世界に見えた。
ロフトのような形をしたその部屋には、階段にびっしりと難しい本が積まれている。
部屋の棚にも本がびっしり。
どこを見ても本、本、本。
本が住んでいる部屋に兄がいる、
そんな感じの部屋だった。
「…なに?また眠れないの?」
部屋をのぞき込む私に気づいて、招き入れてくれた。
小さく頷く私に兄は、
「ほら、これ」
そう言って、いつもヘッドフォンを渡してくれた。
黒くて大きな兄のヘッドフォン。
このヘッドフォンをつけると
なんだか大人になったような…
強くなったような気がした。
ヘッドフォンをつけたまま兄の布団に転がると、
兄のにおいがする。
目の前には、机にむかって勉強をしている兄の背中があって…
そのうちに、ヘッドフォンから流れてくるメロディー。
…またこの曲だ
いつも同じ。
リピート再生されて、
何度も何度も繰り返される…
『夏が過ぎ 風あざみ』
『誰のあこがれに さまよう…』
歌詞の意味なんてわかんない…
でも、不思議だった…。
本に囲まれた部屋と、兄の背中…
繰り返させる優しいメロディー。
目を瞑ると…
兄のにおいがする。
その全部が、私をそっと包んでくれた。
…ここにいれば大丈夫
自然とそんなふうに思えた。
そして私はそのまま…
いつも優しい眠りの中におちていった。
気づくと、いつも朝になっていた。
「…よく寝た」
目が覚めた時は、いつも自分の布団の上。
眠った私を、毎回兄が運んでくれていたんだろうけど…
それがまた不思議で。
兄の部屋の出来事が、
夢のことだったように感じる。
特別な世界に行っていたような感覚だ。
夜が怖くない、あの部屋。
夜になれば聞ける、あの曲。
そう思うと、
あの世界にいける夜が、いつのまにか待ちどおしくなったのだった…。
実家に帰ると
「お兄ちゃんからよ」と母から渡された。
30年ぶりに手にした小さなCD。
「…年季はいってんなぁ」
今はもう、聴く機械がない…。
あのヘッドフォンもない…。
兄の部屋に行くこともない…。
それに夜も、もう怖くない…。
でも、CDを手にしていると
あの頃のメロディーと安心感が、蘇ってくる気がする…。
怖い夜から私を救ってくれた、お守りの曲。
それは今も、小さなCDの中に残っている…
「…もう一度聴きたいな」
あの夜の音を、もう一度確かめたくなった。