「嘘でしょ……」
LINEを開いた瞬間、サーッと血の気が引いた。
スマートフォンの画面を見つめたまま、動けない。
数分前まで、私たちはコストコへ向かう車の中で笑っていた。
「フードコートで何食べる?」
そんな話をしていたことが、ずっと前のことに思える。
私の異変に気づいた旦那は、無言で近くのコンビニへ車を停めた。
「どうした?」
その声で我に返る。
そこに書かれていたのは、たった一行。
「おじいちゃんが救急車で運ばれた。」
あれは数か月前。
毎年恒例の家族旅行で、私たちは温泉旅館を訪れていた。
卓球場には、カコン、カコンとボールを打つ音が響いている。
「おじいちゃん、それ反則!」
私が叫ぶと、おじいちゃんは声を上げて笑った。
ついさっき打ったスマッシュが、私の横を勢いよく通り過ぎたのだ。
ボールは壁に当たり、乾いた音を立てる。
「まだまだだな!」
額の汗を手の甲でぬぐいながら、おじいちゃんは得意げな顔をする。
孫相手でも、容赦ない。
点を取るたびに、
「よしっ!」
とガッツポーズをする。
卓球台の向こうでニッと笑うおじいちゃんは、
私が子どもの頃から少しも変わっていない。
幼稚園の時も、小学校の時も。
おじいちゃんは容赦なく孫たちを打ち負かした。
「大人げない!」
そう言って家族みんなで笑うのはいつものこと。
だから私は疑わなかった。
来年も旅行に行く。
再来年も卓球をする。
その次の年も、おじいちゃんは卓球台の向こうで、
「まだまだだな!」
と笑っている。
そんな未来が、ずっと続くと思っていた。
その日の夜。
卓球を終えた私たちは、温泉に行こうとおじいちゃんたちを迎えに行った。
「迎えにきたよー!温泉いこー!」
おじいちゃんもおばあちゃんも、バスタオルを持って出てくると思っていた。
しかし…
出てきたのは、おばあちゃんだけだった。
「おじいちゃん、発作が出ちゃってちょっと無理そう。先に行っててくれる?」
ドアの隙間から部屋を覗くと、おじいちゃんは布団に横たわっていた。
もともと心臓の病気があることは聞いていた。
それでも、そんな姿を見るのは初めてだった。
「少し休んだら戻るから大丈夫よ。」
おばあちゃんにそう言われ、私たちは温泉へ向かった。
入浴後、階段を駆け上がり、おじいちゃんの様子を見に部屋へ戻る。
恐る恐る扉を開けると、ちょうどおじいちゃんが身体を起こすところだった。
「おじいちゃん、大丈夫!?」
孫たちが駆け寄ると、おじいちゃんはぼそっと一言呟いた。
「腹減ったな」
その一言に、部屋の空気がふっと緩む。
「なにそれ!」
「さっきまで苦しそうだったくせに!」
家族みんなで笑い合う。
おじいちゃんのペースに合わせて支度を済ませ、みんなで夕食会場へ向かった。
さっきまで横たわっていたおじいちゃんは、元気にステーキを食べている。
「なんだ、元気じゃん!」
もう大丈夫。
みんながそう思っていた。
それなのに…
お父さんからのLINEは、そうは告げてくれなかった。
「嘘でしょ……」
私は震える手でお父さんに電話をかける。
状況はまだ分からなかった。
ただ、おじいちゃんが救急車で運ばれたことだけは確かだった。
「状況がわかったらまた連絡する。」
お父さんからはその一言だけ。
窓の外にはいつもの景色が流れている。
信号も。
コンビニも。
前を走る車も。
何も変わらない。
なのに、自分だけが別の世界に放り込まれたみたいだった。
もし、あの卓球が最後だったら。
「まだまだだな!」
をもう聞けないとしたら…。
連絡を待つ時間は、一分が一時間にも思えてしまうほど長く感じた。
その日の夕方、お父さんからLINEが届いた。
「おじいちゃん、これから家に帰るよ。」
私は勢いよく立ち上がり、旦那とおじいちゃんの元へ向かった。
「おじいちゃん!!!」
家の扉を開けると、そこにはいつもと変わらなく見えるおじいちゃんがいた。
「おぉ、心配かけてごめんな。」
そう言って笑うおじいちゃんの顔を見た瞬間、全身の力が抜けた。
テーブルの上には飲みかけのお茶。
テレビでは夕方のニュースが流れている。
いつもと同じ光景だった。
おじいちゃんも、いつもと同じように笑っている。
数時間前まで、その笑顔をもう見られないかもしれないと思っていたなんて、信じられない。
窓から差し込む夕焼けが、おじいちゃんの横顔を照らしている。
私はその顔から目が離せなかった。
「おじいちゃん。」
「ん?」
「また卓球しようね。」
すると、おじいちゃんはニッと笑った。
「おう。」
私もつられて笑った。
次こそ勝ってやる。そう思ったのに。
その笑顔を見ていると、もう少し負けていてもいい気がした。
だって私は、おじいちゃんの
「まだまだだな!」
を、まだまだ聞きたいのだから。