その敵は、予想を遥かに超えて手強かった。
だが私は諦めなかった。
これは、
苦戦を強いられるも、
何度も繰り出される猛攻に挑みつづけた、「あくなき戦い」の物語である。
「わーっ!ちょっと待ってください!」
私は思わず叫び、その方の背中に手を当てて動きを止めた。
その方が座ろうとされている先に、今まさに産み落とされたばかりの茶色い塊があった。
それはまるで、あの大人気ゲームに登場するスライムのよう。
スライムが鎮座しているのは、便座。
その方は、今まさに、それをお尻で踏みつぶそうとしていたのだ。
背中の主は、御年100歳になられるおじいちゃん。
私はその方をケアする介護職員。
――それをお尻で潰してはいけません――!
心の中で叫び、私はすばやくスライムを取り除いた。
「どうぞ~、お座りくださ~い。」
何事もなかったかのように、にこやかに微笑む。
セーフ!
ホッとして、用を足されるのをその場を離れて待った。
「終わられましたか~?」
ほどなくして再訪問する。
ご自身でお尻を拭かれ、ご自身の手に持ったトイレットペーパーについているものを
じーっと眺めておられるところだった。
――いや、眺めてないで早く捨ててくれ。
そんな本音は微塵も見せず、
「私がお手伝いしますよ~。」
ペーパーを回収。ふとおじいちゃんの手を見ると…。
ノーン ‼
手にべっとりと変形したスライムが ‼
「ちょっ、ちょっと待ってくださーい!」と小さく叫ぶ。
急いで丁寧に手を拭き上げる。
ひとかけらも残してはいけない。
―― よし、これで大丈夫。
あとは、お尻をキレイに拭いて、下着とズボンを上げるだけだ。
その時、廊下にナースコールの音が響き渡った。
――え? 今⁈
焦る。
でももう一人、隣のフロアにスタッフがいる。手が空いたら来てくれるかもしれない。
落ち着け、落ち着け。
気を取り直して、お尻を拭き、下着に手をかける。
すると、視界の端に「茶色い影」が見えた気が…。
恐る恐るそちらに目をやる。
あ… あー…!
下着の隙間に新たなスライムがいるではないか!
下着を変えるためには、ズボンと”ももひき”を脱いでいただかなければならない。
「もう一度お座りくださいねぇ。」
「失礼しまーす。」
ズボンに手をかける。
すると…。
オーマイガー! ここにもかー!
ズボンのウエストゴムあたりに、ぴとっとくっついている。
さらに追い打ちがかかる。
――なぬー‼ 何故そこにー⁈
見れば、”ももひき”の前側にもスライムがべったりくっついているのだ。
ムムム…。
気がつけば脇の下は汗でびっしょりだ。
そんな私をよそに、おじいちゃんは、涼しい顔でにこにこ笑っておられる。
さすが、100年も生きておられると肝が据わっているなぁ。
感心しつつ、何度目かの気を取り直して、
新しい下着、ももひき、ズボンに足を通していただく。
「さあ、立ちましょう。」
いよいよ最終段階、キレイな下着、ももひき、ズボンを上げ、
肌着をズボンに入れようとしたその時!
ノーン‼
肌着の裾に、スライムが…
お前ここにもかー!
ナースコールは鳴り続けている。
助っ人は来ない。
――待って待ってー!
――なんでだよー、なんでこんな時に重なるんだよー。
焦る焦る。
額に汗がにじむ。
しかし焦りを見せてはいけない。
「肌着も変えちゃいましょうね~。」
穏やかに言いながらTシャツを脱いでいただこうとしたその時、
――ん?
視界の端に、またもや茶色のものがよぎったような…
ここにもかーーー‼‼
なぜか、一番外側に着ておられた、白地に紺のボーダーTシャツにまでスライムの魔の手が
及んでいた…。
・・・
――もう、いないよね…?
何度も入念にチェックする。
――よーし!大丈夫‼
やった。
私はやり切った。
私は、全てのスライムとの戦いに勝ったのだ‼
「お疲れさまでした~。」
汗をぬぐい、
晴れ晴れとした気持ちで、おじいちゃんに伝えた。
おじいちゃんは、にこにこしながら杖をついて立っておられる。
歩き出そうとする足を止め、ひと言、こう仰った。
「ありがとね~。」
……
……
わぁ……
……
—— 仕事だから、やって当たり前。
どんな業務も、そう思ってこなしてきた。
「ありがとう」と言われることがあっても、仕事だからと、さらっと受け流してきた。
…だけど、今日は。
今日は私、本当に頑張ったよね…!
「ありがとう」が、汗だくの体にじわ〜っと沁みていくのを感じた。
「いえいえ…!!」
こちらこそ、ありがとうございます!!
杖をつくおじいちゃんの反対側の手を引いて、ベッドへ送り届ける。
ベッドに戻り、穏やかに微笑むおじいちゃんに見送られながら、私はナースコールの発信元へと急いだ。
おじいちゃんが微笑む先に