私には、才能なんてないと思っていた。
才能は、自分でわかるものだと思っていたからだ。
足が速い人は、自分が足が速いと知っている。
絵が上手い人は、自分が絵が上手いと知っている。
ピアノが弾ける人は、自分がピアノが弾けると知っている。
だから、
「あなたの才能は何ですか?」
そう聞かれたときに困ってしまう私は、
才能なんて持っていないんだと思っていた。
少なくとも、あの人に出会うまでは。
当時私は、リハビリ病院で看護師として働いていた。
そこで出会ったのが、理学療法士の彼だ。
彼はとにかく、周りがよく見える人だった。
困っている人に自然と気づいて、手を差し伸べられる人。
ある日。
リハビリに向かう患者さんに、彼が声をかけていた。
「髪切ったんですね。」
患者さんは目を丸くした。
「え?わかる?」
「はい。すっきりしましたね。」
その瞬間、患者さんの顔がぱっと明るくなった。
…え、切ってた?
私は全く気づかず、横で驚いていた。
別の日にはスカーフの違いに気づいていたし、
また別の日には、目の下のクマを見て
「昨日眠れなかったんですね」
と言っていた。
人の小さな変化を、彼は当たり前みたいに拾っていたのだ。
患者さんだけじゃない。
看護師が一人で患者さんを車椅子に移そうとしていると、
「手伝いましょうか?」
と自然に入ってくる。
患者さんがベッドの上でキョロキョロしていると、
「何か探してますか?」
と先に声をかけている。
気づけば、ティッシュやリモコンがちゃんと手の届く場所に置かれていた。
ベッド周りもいつの間にか整っている。
誰かに言われてるわけでもないし、頼まれてるわけでもない。
それを、本当に自然にやっていた。
私はずっと、彼は意識してやっているんだと思っていた。
ちゃんと観察して、
気をつけて見て、
頑張って身につけた力なんだろう、と。
だからある日、声をかけた。
「すごく周りが見えますね。」
いつもの感謝も込めて。
すると彼は、
「そう?」
と首をかしげた。
私は笑って、
「またまた。ほんといつも助かってます。ありがとう。」
そう言った。
すると彼は、まだ不思議そうな顔のまま言った。
「そうかな。普通だと思ってます。」
……え?
「意識してるわけじゃないんですか?」
そう聞くと、
「うーん…。」
少し考え、
「気にしたことないですね。」
そう言って笑った。
私は言葉を失った。
気にしたことがない?
あれだけ周りが見えてるのに?
患者さんの髪型も、
スカーフも、
クマも、
困っている様子も。
それ全部、気にしたことがない?
…え、それ、才能じゃない?
だって、そんなの簡単じゃない。
私は看護師だからわかる。
忙しい病棟で周りを見るって、本当に難しい。
患者さんの小さな変化に気づくのだって、意識しないと無理だ。
だから私は、見落とさないように頑張って見ていた。
気をつけて、ちゃんと見ようとしていた。
それなのに彼は、頑張っている感じがない。
無理している感じもない。
ただ、”普通”にやっている。
しかも本人は、それをすごいとも思っていない。
私は思わず言った。
「それ、才能ですよ。」
彼はハハッと笑った。
たぶん、よくわかってなかったと思う。
でも、私は本気だった。
これを才能と呼ばないなら、一体なんて呼べばいいんだ。
私の中で”才能”のイメージが少し変わった。
今まで才能は、自分でわかるものだと思っていた。
「私はこれができます」
「私はこれが得意です」
そういう、胸を張れるもの。
でも、違うこともあるんだ。
“気づかないうちに、身についているもの”
自分では気づかなくても、誰かが見ていてくれるもの。
“才能”って、案外そういうものなのかもしれない。
もしかして、私にもそんな才能があるのかな…?
そんな期待が胸の中に生まれた。
もちろん、今はまだわからない。
でも彼のおかげで、
「私には才能なんてない」
そう決めつけるのは、もうやめようと思えた。
だから私は、これからも探し続けたい。
いつか誰かに、
「それ、才能ですよ。」
と言われる日まで。