誓い直したフィレンツェの夜

家族

「ヤバい…どうしようー!」
 
 
暗い中でもハッキリわかる。
 
 
それは、ヘビのようにギョロッとした恐ろしい目。
 
 
突然訪れた恐怖で、足がすくむ…
 
 
 
——私が、あんなことをしなければ…
 
 
 
 
 
ドゥオーモ。
 
ヴェッキオ橋。
 
ミケランジェロ広場。
 
 
今私たち夫婦がいるのは、イタリアの花の都、フィレンツェだ。
 
 
 
結婚して半年。
 
 
私たちは新婚旅行で、この地にやって来た。
 
 
フィレンツェに並ぶ赤褐色の屋根たちを、夕日がよりいっそう赤らめる。
 
なんとも幻想的でロマンチックな景色。
 
 
そんなフィレンツェを歩いていると、路上で楽団が、クラシック音楽を披露していた。
 
2人でうっとりしながら、演奏に耳を傾ける。
 
フィレンツェでクラシックの音色に包まれるなんて。
 
この上ない幸せな時間だった。
 
 
 
しかし…
 
 
(…あれ。やばい。急に…)
 
 
なんとも間の悪いタイミングだ。
 
私は急にトイレに行きたくなってしまった。
 
日本なら1人でいく。
 
でもここは海外。
 
1人行動はなかなかのリスクがある。
 
自動的に夫もトイレに同行せざるを得ない。
 
 
——夫に言いづらい…。でも、もう限界…
 
 
「あのー……」
 
私は最大限の申し訳なさげな表情を作り、夫にトイレに行きたいと申し出た。
 
 
すると…
 
 
「えぇーー!?今ーー?」
 
 
予想通りの反応をした夫。
 
 
はいはい、そうですよね。
 
そりゃ嫌ですよね。
 
タイミング悪いですよね…
 
 
申し訳ない気持ちもあるから、大口を叩けない私。
 
 
 
でも…
 
 
——そんなあからさまに嫌がらなくてもよくない?
 
 
1%も思いやりを感じられなかった夫の反応。
 
 
正直がっかりしてしまった。
 
 
少しくらいは、思いやりのある反応をしてくれるだろうと期待してしまっていた。
 
 
 
「ハァーー。ほら、行こ」
 
 
深い溜息をつきながらも、同行してくれる夫。
 
 
でも、呆れた雰囲気を隠すこともしない。
 
 
私は、ただ黙ってトイレへ向かうしかできなかった。
 
 
——私だってもっと聴きたかったよ。でも、生理現象はどうしようもないやん。
 
 
 
せっかくの新婚旅行なのに…
 
 
 
私の心は、フィレンツェのきらびやかな雰囲気とは正反対になってしまっていた。
 
 
 
 
 
トイレを済ませた後も、夫との間には、重たい空気が流れていた。
 
 
繋いでいた手も、今は空席状態。
 
 
(夫はこんな人やったのか…)
 
 
せっかくの新婚旅行で、まさかこんな思いをするとは思わなかった。
 
 
 
これから長く続く結婚生活。
 
 
今回の夫の態度に、少しの不安が生まれてしまった。
 
 
 
 
そんな中、辺りはすっかり暗くなってきていた。
 
 
「そろそろホテル戻ろっか」
 
 
夫がそう言い、ホテルへ向かおうとしたその時…
 
 
 
「Hey!Hey!」
 
 
後ろから誰かに声をかけられた。
 
咄嗟に振り返ると…
 
 
「◇※△✕▼〇※!!」
 
 
突然、訳のわからない言葉が、怒涛のようにふりかかってきたのだ。
 
 
 
「えっ!?えっ!?」
 
 
 
突然のことで、私は訳も分からずうろたえる。
 
 
そして目の前には、堀の深い目でこちらを睨んでいる人がいた。
 
 
 
それはイタリア人らしき男。
 
 
こちらへ何かを繰り返し訴えているが、荒々しく放たれたイタリア語は、全く分からない。
 
 
ただ、これだけは分かった。
 
 
男が私に対して、ものすごく怒り心頭しているということが。
 
 
 
「えっ!!えっ!?」
 
 
恐怖で私は日本語すら出てこない。
 
 
すると、男が手に持っている絵画を、私に見せてきたのだ。
 
 
 
(ドンドン!!)
 
 
 
男は手で絵画を叩く。
 
 
その絵画を、目を細めて恐る恐る見ると…
 
 
 
(ん…?足跡?)
 
 

そこには、薄っすらと足跡らしきものが見えた。
 
 
 
そして、私の脳裏では、あることが思い出されていた。
 
 
 
イタリアでよくある犯罪。
 
 
路上に絵画を置き、歩行者にわざと踏ませてお金を騙し取る詐欺。
 
 
 
——えっ…もしかして、踏んだの私!?
 
 
間違いない。
 
 
これは詐欺だ。
 
 
私、ハメられた!
 
 
 
もちろん、踏んだ覚えは全くないない。
 
 
でも、私のパンプスらしき足跡があるのも事実。
 
 
私は何も言えず、ただ怯えるしかできなかった。
 
 
 
——どうしよう…どうしよう!
 
 
 
だがその時。
 
頭上で聞き慣れた声が、夜の街に響いたのだ。
 
 
 
「NO!NO!NO!NO!!」
 
 
 
それは、夫が必死で抵抗している声だった。
 
 
私の手を力強くひっぱりながら、ただひたすらNO!と叫び続けていた。
 
 
男はしばらく後をついてきたが、夫の気迫に負けたのか、諦めて元来た道を引き返して行った。
 
 
男がもう追ってこないことを確認し、私たちはホテルへの道を急いだ。
 
 
 
離れていた手は、今はしっかり繋がれている。
 
 
夫は一言も口を開かず、ただひたすら私を引っ張ってくれている。
 
 
 
荒れた波が凪になるように、私の気持ちも穏やかになっていく。
 
 
 
言葉にしなくても、夫の頼もしさや優しさが、私の心に届いていた。
 
 
 
(助けてくれて、ありがとう)
 
 
 
伝えるのが恥ずかしく、心の中で夫に伝える。
 
 
 
そして、夫の背中を見つめながら、私は改めて誓ったのだった。
 
 
 
 
——何があっても、ずっとついて行く!

2人の子をもつ元看護師。カフェで読書をするのが大好き。あたたかく、やすらぎのある暮らしを目指し中。感性を磨き、自分の経験を元に、心に寄り添える発信をしていきたいです。チャキチャキな大阪弁でのお笑い要素も満載♪ 実績:第4回IWriteグランプリ優勝

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