無謀な散歩

出産・育児

「よーしっ!また歩いて帰るぞー!」
 

そう気合い十分に椅子から立ち上がった私は、
予定日まであと2日の臨月妊婦だ。
 

お腹はパンパンで、自分の足元も見えない。
 

それでも、この時の気分は上々だった。
 
 

まさかこの後、
自分の選択を激しく後悔することになるとは、
 

思ってもみなかった――。
 
 
 

予定日が迫っても、陣痛の気配は一向になかった。
 

「……もっと早く生まれる気がしてたんだけどなぁ」

お腹をさすりながら、私は待ち遠しさと…ほんの少し焦りも感じていた。
 
 

そんな私を連れ出そうとしてくれたのは義母だ。
 

「カフェに行って美味しいもの食べよ!」

仕事の夫に代わって、私のためにわざわざ仕事を休んで手伝いに来てくれていた。
 
 

義母はとにかくよく喋る。

「喋らないと死ぬ病気か?」と実の息子に言われるほどだ。
 

それでも私は、このお喋りが嫌いじゃなかった。
 

カフェでもずっと喋るんだろうなぁ…

そう思いながら、何の疑いもなく車の鍵を手に取った。
 
 

…ところが

「車じゃないわよー!歩くの!散歩!」

「えぇー!!」

普段から歩くのが億劫な私は、近くのコンビニまでも車で行く。
 

義母が言うカフェまでは、徒歩30分はかかる距離だ。

今の私は…

3歳の息子より歩くのが遅いノロノロ歩き。
 

しかも、歩くたびにお腹の重みが恥骨に響いて痛む。
 
 

…えぇ、スパルタすぎるーっ
 

そう思った時には、義母はすでに息子をベビーカーに乗せ終わっていた。
 

「ほらほら、行くよ!」

私は反論する間もなく、散歩に出発することになったのだ。
 
 

私の地元は、畑と田んぼに囲まれたのどかな所だ。

そして川沿いには「丘の散歩コース」という静かで清々しい道がある。

そこをベビーカーを押しながら歩く義母は、ひたすら喋り続けていた。
 

「ここ、昔は違う道だったのよー」

「こんなところにお店できたのね!」
 

早口で次々と繰り出されるトーク。
 

私が相槌を打つ間もなく、義母の話は次の話題へと移っていく。
 
 

「ばぁば、ずーっと喋ってるー」

ベビーカーに乗った息子が、義母を見上げると

「そうねー、ばぁばおしゃべりなのよー」

義母は笑いながら、また次の話。
 

今日も絶好調だなぁ…

最初は億劫だった散歩も、気づけばその勢いに引っ張られていた。
 
 

普段30分の道を、私たちは1時間半かけてカフェに到着。
 

そこで1時間ほど休憩し、体力もだいぶ回復した。
 
 
 

「帰り、タクシーでもいいわよ?」

義母にそう言われたけれど、私は首を横に振った。

散歩も、悪くないと思ってしまったのだ。

「よーしっ!また歩いて帰るぞー!」
 

気合い十分に椅子から立ち上がった私は、
「行きとは違う道で帰ろう!」と提案して、ウキウキしながら外へ出た。
 

ベビーカーに乗った息子も、楽しそうに歌を歌っている。

義母も相変わらず楽しそうに喋り続けていた。
 
 
 

――ここまでは、楽しかった…。
 
 

しばらく歩いて、ふと周囲を見回す。
 
 

…あれ?
 

「…こ、こんなに家遠かったっけ…?」

歩いても歩いても、景色が変わらない。
 

そして、ようやく私は理解をした。
 
 

待って…
 

この道…
 
めちゃくちゃ遠回りじゃない!?
 
 

「私……臨月妊婦だってこと、忘れてた」

調子に乗って選んだ道は、帰り道としては完全に間違っていた。
 
 
普通の人でも遠回りなこの道を、今の私が歩くなんて…
 
 

「タクシー!!」
と思ったけれど、ここはのどかな田舎の田んぼ道。

駅前以外でタクシーなんて通らない!
 
 
…家が遠すぎるっ
 

「さすがに遠回りしすぎたわねー!」

と最初は笑っていた義母も

「…遠い…遠いわ…遠い」

喋りのキレがなくなって、さっきから同じ事を繰り返し言っている。
 
 

もう私は喋る気力もない…。
 

ただひたすら、
一歩、また一歩。
 
 
 

そしてついに――

「着いたー!!」

玄関のドアを開けた瞬間、全身の力が抜けて座り込んだ。
 
 

そしてふと時計を見た瞬間、「えっ!?」と声が出た…。

「3時間半…?」

カフェを出てから3時間半も経っている。
 

ってことは…トータルで5時間!?
 
 

「……もう動けない」

私が言うと、義母がぽつりと呟いた。

「……もう喋れない」

その言葉があまりにも義母らしくて、私たちは力なく笑った。
 
 
 

仕事から帰ってきた夫に話すと呆れた顔で、
「…限度ってものがあるだろ」そう言われてしまった。
 
 
 

そして2日後。
 

一気にお産が進み予定日ピッタリに次男は無事生まれたのだ。

今でも義母とは、あの日のことを笑い話にする。
 

「あんだけ歩いたからお産がすすんだのよー! …でも、もう二度とごめんだわ!」

そう笑う義母に

「私だってもうヤダよ」と答える。
 
 

こうして、最初で最後の5時間散歩は幕を閉じた。
 

義母と笑い話として語れる思い出ができたのだから、良しとしよう。

30代 | 夫、息子2人、保護猫と暮らす。 友人と10年カフェを経営、妊娠を機に現場を離れる。在宅での仕事に魅力を感じ、ライターの道へ。映画鑑賞、読書、レザークラフト、ガラス彫刻など…引きこもり系趣味をもった、インドア主婦。

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