ガシャン!
玄関の扉が強く閉まる音がした。
私は夕食のカレーを作るため、玉ねぎを切っていた。
玉ねぎで涙が出るより先に、胸がざわついた。
(なにかあったな 。)
「ママ!」
振り向くと、娘がランドセルを投げ出し、涙を滲ませながら立っていた。
「AちゃんとBちゃんが二人でしゃべってて、私のこと入れてくれなかった」
悲しみと怒りを、私にぶつけてきた。
「それは嫌だったね。仲間に入れてほしかったね。」
私は震える肩をさすりながら、ただ、「うん、うん」と聞いていた。
しばらくすると、涙を甲でぬぐい、何事もなかったかのようにリビングに歩いていった。
(よかった。落ち着いた。)
準備してあった玉ねぎを鍋に入れると、ジュージューと音が聞こえてきた。
娘は小さいころから、気持ちの切り替えが苦手な子だった 。
決定的な違いを感じたのは、娘が4歳の頃、チアダンスの体験会に行った時だ。
同じ年齢の子たちは、じっと先生の前に座っている。
だけど娘だけは、鏡の前で変顔をし、走り回ったりしていた。
(なんでみんな、じっと座っとれるん?)
ガクンと頭を殴られたような衝撃だった。
焦って腕を掴むと、娘は「やだやだ!」と体をくねらせて暴れる。
(私が甘すぎるんかな。もっと厳しくせなあかんな)
そう思う毎日だった。
ところがある日、娘に『発達障害』の診断が下りた。
私は、不思議と心がほっとした。
(娘自身も、どうにもならない感情に困っていたんだ)
それから私は、娘の気持ちが荒れたときは、横に座って落ち着くのをただただ待つ。
それが私たち親子の切り替え方法だった。
我が家に、ワンちゃんの『おもち』がやってきたのも、そんな日々の出来事。
『バセンジー』という犬種の女の子。
大きさは柴犬ほど。小麦色の短い毛並みに、おでこの深いしわがチャームポイントだ。
いつ見ても困り顔。
私が帰っても尻尾すら振らない、塩対応の犬だ。
おもちが来る前。
娘は、犬を見るたびに「ママ、犬が欲しい」と、訴えてきた。
「あかん。しつこいわ。何回言えばわかるん」
何度も言ったが、娘は折れない。
そんな会話が五年ほど続き、私は娘のしつこすぎる犬愛に、とうとう負けたのだった。
(犬の世話なんか、本当にできるんかな。)
不安だった私をよそに、娘の毎日は少しずつ変わっていった。
ご飯に散歩、ペットシーツの交換。
普段なら面倒くさがることも、おもちのことになると動いた。
おもちもおもちで、私が一緒に遊ぼうとしても、知らん顔する。
だけど、娘が走ると、おもちは全速力で追いかけていく。
娘がソファーで寝ていると、おもちもいつの間にか娘の足元で丸くなっている。
おもちが来てから、娘には少しずつ変化が生まれていた。
ある日の夕方、公園から娘が帰ってきた。
「ただいま」
声が、いつもよりずっと低い。
(また何かあったな)
洗い物をしていた手をとめ、ざわついた鼓動を落ち着かせる。
「おかえり。なんかあった?」
今にも泣きそうな顔の娘は、何も答えなかった。
濡れた手を拭き、娘を受け止めるつもりで待っていると、
娘はそのままリビングへと向かっていった。
(あれ?こっちこやんの?)
どこへ行くのかと思ったら、おもちのケージの前でしゃがみこんだ。
おもちは、お腹を丸出しにして寝ている。
四方を細い柵で囲まれた、子どもが一人やっと入れるくらいの小さな空間 。
娘はそっと扉を開け、体を小さく折りたたむようにして中に入っていった。
仰向けで寝ていたおもちは、一瞬でひっくり返った。
見開いた目で、娘を見て固まっている。
静かに強引に乗り込んでくる娘を横目に、少し体をずらす。
まるで、「え、ここって私の部屋なんですけど。。。。」と言っているみたいだった。
(そこ入るん?おもち、えらい迷惑そうやで)
心の中で思わずつっこんだ。
娘はおもちのそばで、何も言わず、丸くなって寄り添っていた。
三十分ぐらい経ったころ、リビングの方から声がした。
「ママー!ちょっと来て!」
さっきより明るい声だった。
(今日はいつもと違うな)
リビングに行くと、娘はやわらかい顔をしていた。
「前まではさ、モヤモヤしたらママに話して、気持ちがすっきりしとったやん。
でも今は、おもちをぎゅってしてると、心がふわっと軽くなる」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥がじゅわっと熱くなった。
私はただ待つことしかできなかった。
その娘の切り替えを、おもちがそっと手伝ってくれていたのだ。
でも同時に、少し寂しかった。
(そこ、私の役目だったんだけどな。)
でも寂しさ以上に、自分で安心できる場所を見つけた娘が、
少し大人になったようにも思え、嬉しかった。
いつの間にか、娘とおもちの間には 、私の知らない絆が育っていたんだ。
さっきまで娘がいたケージの中で、おもちが丸くなって眠っている。
私はその姿に、心の中でそっと語りかけた 。
(おもち、家族になってくれてありがとう。)