娘がケージに入った日

2026.07.13
出産・育児

ガシャン!

 
 
 
 
玄関の扉が強く閉まる音がした。 

  

私は夕食のカレーを作るため、玉ねぎを切っていた。

  

玉ねぎで涙が出るより先に、胸がざわついた。

  

(なにかあったな 。)

  

「ママ!」

  

振り向くと、娘がランドセルを投げ出し、涙を滲ませながら立っていた。

  

「AちゃんとBちゃんが二人でしゃべってて、私のこと入れてくれなかった」

  

悲しみと怒りを、私にぶつけてきた。

  

「それは嫌だったね。仲間に入れてほしかったね。」

  

私は震える肩をさすりながら、ただ、「うん、うん」と聞いていた。

  

しばらくすると、涙を甲でぬぐい、何事もなかったかのようにリビングに歩いていった。 

  

(よかった。落ち着いた。)

  

準備してあった玉ねぎを鍋に入れると、ジュージューと音が聞こえてきた。

  
 
 
 

娘は小さいころから、気持ちの切り替えが苦手な子だった 。

  

決定的な違いを感じたのは、娘が4歳の頃、チアダンスの体験会に行った時だ。

  

同じ年齢の子たちは、じっと先生の前に座っている。

  

だけど娘だけは、鏡の前で変顔をし、走り回ったりしていた。

  

(なんでみんな、じっと座っとれるん?)

  

ガクンと頭を殴られたような衝撃だった。

  

焦って腕を掴むと、娘は「やだやだ!」と体をくねらせて暴れる。 

  

(私が甘すぎるんかな。もっと厳しくせなあかんな)

  

そう思う毎日だった。

  

ところがある日、娘に『発達障害』の診断が下りた。

  

私は、不思議と心がほっとした。

  

(娘自身も、どうにもならない感情に困っていたんだ)

  

それから私は、娘の気持ちが荒れたときは、横に座って落ち着くのをただただ待つ。

  

それが私たち親子の切り替え方法だった。

  
 
 

我が家に、ワンちゃんの『おもち』がやってきたのも、そんな日々の出来事。

  

『バセンジー』という犬種の女の子。

  

大きさは柴犬ほど。小麦色の短い毛並みに、おでこの深いしわがチャームポイントだ。 

  

いつ見ても困り顔。

  

私が帰っても尻尾すら振らない、塩対応の犬だ。  

  

おもちが来る前。

  

娘は、犬を見るたびに「ママ、犬が欲しい」と、訴えてきた。

  

「あかん。しつこいわ。何回言えばわかるん」

  

何度も言ったが、娘は折れない。

  

そんな会話が五年ほど続き、私は娘のしつこすぎる犬愛に、とうとう負けたのだった。 

  

(犬の世話なんか、本当にできるんかな。)

  

不安だった私をよそに、娘の毎日は少しずつ変わっていった。 

  

ご飯に散歩、ペットシーツの交換。  

  

普段なら面倒くさがることも、おもちのことになると動いた。 

  

おもちもおもちで、私が一緒に遊ぼうとしても、知らん顔する。

  

だけど、娘が走ると、おもちは全速力で追いかけていく。

  

娘がソファーで寝ていると、おもちもいつの間にか娘の足元で丸くなっている。

  

おもちが来てから、娘には少しずつ変化が生まれていた。 

 
 
 

ある日の夕方、公園から娘が帰ってきた。

  

「ただいま」

  

声が、いつもよりずっと低い。

  

(また何かあったな)

  

洗い物をしていた手をとめ、ざわついた鼓動を落ち着かせる。

  

「おかえり。なんかあった?」

  

今にも泣きそうな顔の娘は、何も答えなかった。

  

濡れた手を拭き、娘を受け止めるつもりで待っていると、

  

娘はそのままリビングへと向かっていった。

  

(あれ?こっちこやんの?)

  

どこへ行くのかと思ったら、おもちのケージの前でしゃがみこんだ。 

  

おもちは、お腹を丸出しにして寝ている。 

  

四方を細い柵で囲まれた、子どもが一人やっと入れるくらいの小さな空間 。

  

娘はそっと扉を開け、体を小さく折りたたむようにして中に入っていった。 

  

仰向けで寝ていたおもちは、一瞬でひっくり返った。

  

見開いた目で、娘を見て固まっている。

  

静かに強引に乗り込んでくる娘を横目に、少し体をずらす。

  

まるで、「え、ここって私の部屋なんですけど。。。。」と言っているみたいだった。

  

(そこ入るん?おもち、えらい迷惑そうやで)

  

心の中で思わずつっこんだ。

  

娘はおもちのそばで、何も言わず、丸くなって寄り添っていた。

  

三十分ぐらい経ったころ、リビングの方から声がした。

  

「ママー!ちょっと来て!」

  

さっきより明るい声だった。

  

(今日はいつもと違うな)

  

リビングに行くと、娘はやわらかい顔をしていた。 

  

「前まではさ、モヤモヤしたらママに話して、気持ちがすっきりしとったやん。

  

でも今は、おもちをぎゅってしてると、心がふわっと軽くなる」 

  

その言葉を聞いた瞬間、胸の奥がじゅわっと熱くなった。 

  

私はただ待つことしかできなかった。

  

 その娘の切り替えを、おもちがそっと手伝ってくれていたのだ。 

  

でも同時に、少し寂しかった。

  

(そこ、私の役目だったんだけどな。)

  

でも寂しさ以上に、自分で安心できる場所を見つけた娘が、

  

少し大人になったようにも思え、嬉しかった。

  

いつの間にか、娘とおもちの間には 、私の知らない絆が育っていたんだ。  

  

さっきまで娘がいたケージの中で、おもちが丸くなって眠っている。

  

私はその姿に、心の中でそっと語りかけた 。

  

(おもち、家族になってくれてありがとう。)  
 
 
 

40代|中1の娘、愛犬おもちと暮らす。 思い通りにいかない子育て、日々の中でくすぶる本音。 飲み込んできた感情をすくい取り、エッセイとして綴っています。 キャンプ、犬との暮らし、音楽、心が動く言葉が好き。

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